令和の子どもたちは生活に便利なことも多いが、“遊ぶ場所”という点では、公園など自由に遊べる場所が少なくなり、かわいそうと思うことがある。筆者が過ごした昭和の時代は、もちろんスマホなんてなかったものの、なぜか自然と遊びに行く集合場所が決まっていたものだ。
その一つが駄菓子屋。駄菓子屋はお菓子だけでなく、たこ焼きにゲーム機など、まさに“近所の遊園地”と化していた。友達たちと多くの時間を過ごした思い出深い場所……今回は、そんな駄菓子屋で遊んだアーケードゲームを3つ紹介したい。
■スピードアップに定規が多用された『ハイパーオリンピック』
まずは1983年に登場し、少年少女を夢中にさせた『ハイパーオリンピック』(コナミ)だ。ファミコン版で初めてプレイした人もいるだろう。翌年にロス五輪が開催されるのを受けて、大いに盛り上がったアーケードゲームの一つだ。当時は前回大会のモスクワを日本がボイコットしているだけに注目度が高く、筆者も駄菓子屋に駆け込んだものだ。
■正義のツッパリが突き進むアクションゲームの定番『熱血硬派くにおくん』
80年代といえば不良少年のことを”ツッパリ”と呼んだものだ。『熱血硬派くにおくん』(テクノスジャパン)は、リーゼントに白ランを着ている主役の「くにお」が一人で集団と戦うアクションゲームで人気を博した。横スクロールでパンチと逆方向にキック、さらにダッシュもあるので飛び蹴りも出せる。投げもあれば膝蹴りなど、とにかく当時としては多彩な攻撃を繰り出せるので夢中になったものだ。
■みんな夢中になった! シューティングゲームの基礎を作り上げた名作『ゼビウス』
最後は、1984年に登場したシューティングゲームで不朽の名作『ゼビウス』(ナムコ)だ。横移動に縦移動を加え、地上にもミサイルを落として攻撃できるという、当時としては画期的なゲームだった。同年、ファミコン版が登場するのだが、それでも駄菓子屋には列ができるほど人気だったものだ。いや、むしろファミコンで腕を鍛えて駄菓子屋やゲーセンで披露するのが当時の主流だった気がする。
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